漫研物語

 はじめに、当時の深志高校のサークル活動に関する規則について説明する。どこの高校でも同じようなものかもしれないが、他の高校の事情について私は全く知らないので、念のための措置と思っていただきたい。

 深志では、何か自分の好きなテーマがあり、「趣味を同じくする人を集めたい」と思ったら、明日からでもサークルを旗揚げすることができた。ただし、それは「愛好会」と呼ばれた。やがて、生徒会側にもその活動成果が認められると「同好会」に昇格する。確か、同好会になれば生徒会から予算がもらえたような気がする。そして、さらに精進することにより正式な「部」となるのである。部になれば、予算はもちろんのこと、部室も与えられることになる。この辺、「前座」→「二つ目」→「真打ち」と昇格してゆく、落語界の制度に似ていなくもない。
 ただし、部になったからといって安心はできない。何らかの基準に抵触すると、格下げになる場合がある。その一つに、「10名以上」という人数制約があった。
 我が落研の場合、一学年の人数が大体3~4名だっ たから、いつもスレスレのところで10名を越えていた。しかも、2階建ての部室長屋において、一等地ともいうべきよい位置に部室を持っていたため、毎年春 になると新入部員確保に燃えていた。したがって、先輩は常に優しく、一年生のうちは先輩と一緒に喫茶店に行くと、常に奢ってもらっていた。冷静に考えれ ば、自分が上級生になったとき奢る立場になるということであるが、そんなことにも気づかぬまま、「いい部に入ったなあ」とホクホクしていた。
 サークル活動に関するもう一つの重要なルールとして「サークルはいくつでも掛け持ち可能」というのもあった。以上を念頭に置いて本文を読み進めていただきたい。

 私は、中学の頃から漫画好きの少年だった。高校に入ったら漫画研究会に入るぞ!!と心に決め、受験勉強に燃えていた。しかし、深志に入学して愕然とする ことになる。深志には漫画研究会がなかったのである。「一生の不覚!!」もう一年浪人して漫研のある高校に入り直そうと思ったが(嘘だけど)、心を入れ替えて落研に入ることにした。
 そんなある日、漫画研究会が旗揚げするというニュースが飛び込んできた。しかも、「部長はどうやら美人らしい」というおまけ付きである。私の心は揺れ動いた。落研を辞めて漫研に入るべきか・・・しかし、先輩方にはずいぶんお世話になっているし・・・
 掛け持ちをすればよいのだ、ということに気づくまでには、鈍い私でもそうそう時間はかからなかった。いやそれよりもなんと、落研の男子部員が全員漫研に入部してしまったのである。理由は説明するまでもないだろう。事務局の人に入部届を出し、皆で招集の日を心待ちにしていた。「部長はどんな女性なんだろうな・・・」
 招集の日、そもそも同じ高校の中なのだから「もっと早く気づけ!!」と言いたいところであるが、次の日、皆退部届を出していた。私は、元々漫画が好きということが災いし、少し躊躇した。そして逃げ遅れた。私が辞めたら、部としての体面を保つ10名を切ってしまうのである。
 私は結局、3年間漫研に所属することになるのであるが、考えてみれば漫画を読むのは好きであったが、漫画を描くような技量は持ち合わせていなかった。したがって、「漫画研究会鑑賞班」なるものを設置していただき、鑑賞と称してひたすら漫画を読んでいた。
 数年後、我々が高校を卒業した後、落研は没落の一途をたどり、人数も10名を切ってしまったようだ。部室を取り上げられることだけは免れたが、他の部を「同居」させることになったと聞く。それに引き替え漫研は、時流に乗って着実にその地位を高めていったようである。祇園精舎の鐘の声・・・深志における平家物語をこの辺で終わる。


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