テネシー・ワルツが文化祭昼の部の最後を飾るイベントであるとすれば、文化祭の最終日を飾る一大イベントがファイアーストームである。
ある意味で、深志の一年間の行事の中で最大のものかもしれず、近隣から大勢の観客が見に来ていた。
段取りとしては、こんな感じである。
文化祭が終わり用済みとなった廃材の類を校庭の真ん中に堆く積み上げる。
それに点火した後、皆でその周りをグルグル走る。
時には寮歌を歌いながら、誰彼構わず肩を組んでひたすら走る。
このイベントを統括している応援団によって太鼓が打ち鳴らされ、時折、消防署から借りたホースを使用して、走る者達に勢いよく放水を行う。
当然のごとく校庭は泥まみれになり、水と火の粉と泥によってぐちゃぐちゃになりながらも、生徒達はひたすら走る。
客観的に見れば、カルトな宗教団体のイニシエーションのようなものかもしれない。その証拠というわけではないが、ファイアーストームの最後には「何か言 いたい奴は前へ出てこい!!」という応援団の掛け声とともに、正面に設置された壇上に次々と有志達が上がり、普段おとなしい生徒達が皆ハイテンションに なって自分が如何に深志を愛しているか、などといった事柄を絶叫し始める。
落研の面々は、私の記憶にある限り3年間壇上に上がることはなかった。普段十分に馬鹿を晒しているため、今更馬鹿を晒すこともないと思っていたからなの か、単に言いたいことが無かったからなのか、人前で話すのが苦手だったからか、口演の後の疾走で疲れていたからなのか・・・
噺家というのは時にシニカルな面を持っており、世の中を斜に構えて見るようなところがある。無論、普段から舞台の上と変わらず陽気な噺家もいるが、そういった噺家は大抵大成はしない。
桂枝雀然り、桂三木助然り、笑いを得るためには、自殺したくなるほど悩むものなのだ。
熱狂するのは観客であり、自分ではない。自身が熱狂したら、芸人は終わりなのだ(いいのか!?こんなシリアスなこと書いて・・・)。