寮歌

 応援をライフワークとしているN.H君より、再び応援歌(寮歌)ネタが送られてきた。筆者には、この世界のことは全然分からないので、添削一切なしでそのまま掲載する。懐かしい人には懐かしいのだろうなあ・・・


 そーいえば、旧制高校の寮歌を歌う高校も珍しかったのでは。
 ファイヤーストームは言うに及ばず、その他色々な機会に(一部の人間が)歌っていたと思います。
 確か、応援歌などの歌集があって、そこにしっかり掲載されていた記憶があります。

  一校(東京):「嗚呼玉杯」、「春爛漫の花の色」
  二校(仙台):「天(そら)は東北」
  三校(京都):「逍遥の歌」、「琵琶湖周航の歌」
  四高(金沢):「北の都に秋たけて」
  五校(熊本):「武夫原頭草萌えて」
  六高(岡山):(あったかどうか覚えていない)
  七高(鹿児島):「北辰斜めに」
  八高(名古屋):「伊吹おろしの雪消えて」
  北大恵迪寮:「都ぞ弥生」

 あと、

  松高:「春寂寥」、「夕暮るる筑摩の森に」

 ちなみに松高は9番目にできたのですが、松高以降ナンバー制ではなく地方名が入るようになったはず。
 そのためかどうか知らないが、松高の校章には9本の線が入っていてNo.9を表していたとか・・・「ドクトルマンボウ青春期」に書いてあったような気が・・・

 個人的には三校「逍遥の歌」、北大「都ぞ弥生」、松高「春寂寥」あたりが好きでしたね。
 このとき覚えたおかげで、「琵琶湖周航の歌」はカラオケでも歌詞無しで(アカペラも)歌えます。
 そういえば、「人恋いうる歌」(妻を娶らば才長けて・・・っていう与謝野鉄幹の歌)もあったような・・・

 P.S.ファイヤーストームの時に早慶戦といって、早稲田と慶應とに分かれ、「都の西北」と「若き血」を大声で歌うってのがあったと思います。
 当然深志だから、早稲田側が多く、さらに歌の長さが違いすぎて(「若き血」の方が早く終わり、間が持たない)、必ず早稲田が勝つというパターンでしたね。
 あたしゃ高校3年の夏までは早稲田に行きたかったのですが、なぜかこの早慶戦では慶應側で「若き血」を歌っていました・・・こうなる運命だったのか?


 最後の一文にあるように、N.H君は結局慶應に行ってしまったわけであるが(しかも推薦入学で)、慶應進学が決まるやいなや("as soon as"って奴ですね)、「早慶戦」が「慶早戦」になってしまった。何とも現金な奴って、当時散々当てこすりを言われていたなあ。
 今はどうだか知らないが、当時の深志は早稲田を受験する生徒が慶應の4倍ぐらいはいたような気がする。慶應のお坊ちゃん臭さが、深志生の気風には合わなかった。
 しかし、合格者数は、早稲田も慶應もさほど変わらなかったのではないのかな。
 ちなみに筆者も、慶應は受けずに早稲田のみ受けたクチである。
 ただ、最近の実業界では、若干ではあるが慶應出身者の方が評判がよいような気がする。N.H君の選択も、ある意味正しかったのではないのかな。当時の彼 に「先見の明があった」などとは決して言うつもりはないが・・・(ゴメン)