テネシー・ワルツ

 1947年にカントリー歌手のRedd StewartとバンドリーダーのPee Wee Kingによって作られた。1950年にPatti Page が歌って、同年12月から翌年2月まで全米ヒットチャート1位を独走し、レコードはミリオンセラーとなる。

 筆者は、中高生の頃、ラジオ深夜放送のCMのBGMとして、よくこの曲を聴いていた。そして、深志生にとっても、この曲は特別の意味合いを持っている。

 文化祭といえば、フォークダンスが付き物であるが、その最後を飾るのがこの曲だった。テネシー・ワルツが流れ始めると、それまでダンスを踊っていた生徒達が、さり気なくその場から離れ始める。
 テネシー・ワルツは、パートナーのいない生徒には踊る資格がないのだ。
 したがって、現在であればクリスマスシーズンが近づくと、恋人を捏造するために若者達が奔走するように、文化祭のシーズンが近づくと、なんとなく生徒達もそわそわし始める。

 我々は、幸か不幸かフォークダンスの時間と落語口演の時間とが重なっていたので、その心配をする必要はなかった。しかし、本当のことを言うと、テネシー・ワルツが始まる時間には口演は終わっていた。

 「ここはもういいから、おまえら踊っておいでよ」
 「えっ?いえいえ私はいいですから先輩こそ」
 「いや~俺はまだ帳簿の整理が残っているから・・・」
 「そんなぁ会社じゃないんすから」

 結局、皆で図書館の2階から、カップル達が踊っている姿を寂しく眺めているのだった。
 「来年こそは・・・」と思いつつも、3年間は虚しく過ぎていったのである(ということにしておきましょう。家庭平和のためにも)。