高座の作り方

 落研にとっても一年の最大イベントであるとんぼ祭の本格的な準備は、開催日の約1週間前から始まります。

 この間に会場である図書館の2階に高座を作り、並行して各部員が自分の落語を完成させるのです。
 そのために落研部員は合宿生活に入ります。合宿は授業のある平日に行われます。多分3泊4日だったと思います。部室に雑魚寝だったので、泊まるのは男子部員のみで、女子は最終電車で帰っていました。
 落研生活において、一年のうちで一ばん気分が高まる季節でした。


 それでは、微かな記憶を頼りに高座の作り方を書きます。

 1.机を並べる。
  畳大はある大きな机を、土台とするために5基並べます。
  そして、隣同士になった机の足を針金でしっかりと結わえ固定します。
  ※余談ですが「数え方の辞典」によると、机の数え方には「台」「脚」「基」「卓」「前」があるようですが、この場合は「基」がしっくりくる気がしました。
  このうち2基は部室で普段使っている机を充当し、あとの3基は図書館にあるものを使ったと思います。

 2.柱を立てる。
  机を並べた四隅にそれぞれ柱(高さ2メートル強)を立て、机にしっかりと固定します。

 3.柱と壁とを針金で結ぶ。
  4本の柱から四方へ針金を延ばし、壁の釘と結びつけて固定します。

 4.高座前面の柱と柱の間に板を通す。
  これは、舞台前面にしわが出来ないように綺麗に暗幕を張るための措置です。
  以前は針金に直接暗幕を張っていたようですが、それだとなかなかしわが取れなかったようです。

 5.机の上に畳を敷く。
  倉庫に保管してある畳を5枚持ってきて、机の上に敷きました。
  ちなみに、机の無くなった部室にも畳を敷き、合宿の準備を行いました。
  大喜利の時は、最大7名が座ることになるわけですが、畳5枚に7名では多少窮屈だったような気もします。
  そういえば、私たちが2年生の時の顧問の先生が、ご自宅で要らなくなった畳を寄付してくださいました。

 6.暗幕をかける。
  客席から高座の後ろが見えないように、柱と壁を結んだ針金に暗幕をかけました。
  暗幕を綺麗にかけるのが難しく、ああでもないこうでもないと現場監督が指図する中で微調整を行い、何とか完成させました。
  ※現場監督はその場の誰かがやっていましたが、私にはどこが悪いのかさっぱり分かりませんでした。美的感覚はなかったですね。

 7.金屏風を立てる。
  高座の後ろ側に金屏風を立て、座布団を敷けば完成です。


 以上7つの工程を、二晩かけて実施したような気がします。
 私たちの時代にはそれはなかったのですが、先輩から聞いた話によると、完成直後にOBがやってきて「作り直せ!」のひと言で一から作り直した年もあったそうです。

 さて、合宿の目的は高座作りと落語の練習ですが、高座作りが深夜にまで及ぶため、各自の落語の練習はそれからということになります。
 高座が完成すればその上でも練習は出来ますが、基本的には部室に敷かれた畳の上に座って行っていました。
 合宿の前に落語を覚えることが前提となっておりましたので、それが出来ていない者は悲惨でした。そのために授業をさぼって落語を覚えている奴もいました・・・ねっ、H君(あっ、私もそうか)。

 実際のところ、落語の練習が行われるのは深夜2時頃までであり、その後は例によってナポレオンが始まってしまいます。したがって、夜の生活に備え
るため、重要度の低い授業を計画的にさぼって部室で寝ている奴もいました(これも私か)。
 食事は近所の食堂に行くか、駄菓子屋で買ってきた菓子パンやカップラーメンが主食だったと思います。あとは、女子部員が差し入れてくれるお弁当ですね。これは嬉しかった。

 落語は、部員によって本から覚えたりテープから覚えたりと様々でしたが、私の場合はとにかく欲張りだったので、該当の落語が載っている書籍及びプロの噺家のテープを集めてきて、それぞれのエッセンスを寄せ集めて自分の落語を作っていました。

 高座が完成して練習が最後の仕上げに入る頃には、大学が夏休み中のOB達が差し入れを持ってちょくちょく練習を見に来てくれました。が、それは楽しみでもあり少し怖くもあったような気がします(怖いOBがいたんですよ・・・)。
 ただ、とんぼ祭本番中にはサクラとして活躍していただきましたし、とんぼ祭が終わって打上げに行くときには、やはりOBの存在は有り難かったですね。

 ここで、少し余談を書きます。
 落研は、私たちが卒業して数年後に一気に衰退の時代へと突入してしまいました。そして、現役部員とOBとの繋がりが希薄になり、やがて断絶の時代を迎えてしまうのです。
 たまたまというべきか、私たちの世代には地元の信州大学に行った奴が一人もおらず、また、私のように夏休み後に前期試験がある大学に行ってしまった奴が多かったのです。したがって、とんぼ祭に顔を出すOBが激減してしまい、OBと現役部員との連絡が途絶えてしまったのです。

 OB会名簿がこの時代で途切れているのもそれが原因となっています。空白の時代を少しずつでも埋めていきたい。皆さんからのご連絡を心よりお待ちしております。