僻地争い

 「落研事件簿」の中でも紹介したが、長野県、特に松本平に関しては、同じ地方内においてもその風土は多様化している。
 深志高校が所属する第11通学区は、北は生坂、坂北まで、南は木曽までがその範囲に含まれている。
 深志においては、学校に近い場所に住んでいる者ほど「偉い」とされ、遠くから1時間もかけて通ってきている哀れな苦学生たちに対し、「僻地ぃ僻地ぃ」と からかいあう、今となってみると何とも情けない風習があった。
 さらには、松本市内組から「僻地」と蔑まれる地域に住む者たちの間でも、わずかなアドバンテージを見つけては、相手を「僻地」扱いするのである。曰く、 「学校には遠いかも知れないけど、うちの方が東京に近いからな」「うちの方が、京都に近い」「いや、うちの方が南極に近い」とか、だんだん支離滅裂になっ てくる。まあ、半分子供の遊びのようなものだから、目くじらを立てても仕方がないかもしれない。
 また、方言も多様化しており、中学から高校に来て初めて触れる言葉の数々に面食らうことがしばしばあった。「ずくがない」などは、全松本地方における共 通単語であるが、筆者は穂高地方の人々が使う「ごしたい」という言葉に初めて触れたとき、意味が分からず難儀した覚えがある。ちなみに「てきない」という 意味である。(「てきない」は逆に他の皆さんには通じないかも?)
 そんな我々も、大学進学などで上京した際に、今まで標準語と思って使っていた単語が実は方言であった、ということに気づく場面に多々遭遇することになる。

 そして、そのような体験が蓄積されるとだんだん頭の中も混乱してきて、こんな事態が生じる。

 「ねえ、ねえ、『くたびれた』って方言だって知ってた?」
 「ん?『くたびれた』は標準語だろ」
 「うんにゃ、標準語では『つかれた』って言うんだよ」
 「あっそうかぁ」