深志と野球と応援団

 このコーナーも「N.H君の思い出話の部屋」っぽくなってきた感があるが、得意の応援ネタが二題送られてきた。


【深志野球部】

 OBでもなんでもないので、こんなことを書いたら僭越だけど、我々が在籍していた時、残念ながら野球部は弱かったな。
 確か3年間で公式戦では1勝しかしていなかったと思う。・・・俗に言う“出ると負け”。
 皆結構真面目に練習していたが、松商をはじめ、名だたる野球高校には残念ながら勝てなかった。

 しかし、唯一の1勝・・・我々が3年の時の秋季大会(つまり同期の引退後)・・・した時の応援席は、まさに狂喜乱舞で、「戦勝の喜び」を初めて歌った記憶がちらほらと・・・(いつもは「恨みを呑んで」 <注1> だったから)

 確か10数年前、小林某という好投手を擁し、準決勝まで進んだことがあったと思うが、松商学園に負けて2回目の甲子園出場 <注2> を逃したはず(このときは松商が甲子園に行った)。
 近年では最高ではなかったか???(数年前そこそこまで上がったことがあったようにも思うが)

 関西在住が長かったので、春でも夏でも深志が甲子園に出てきたら、何があっても会社を休んで応援に行こうと考えていたが(だって、それを逃したら、まず 間違いなく生きている内に2度とチャンスは巡ってこないだろうから)、その夢はいまだ果たされていない。

 P.S. ユニフォームは相変わらず左胸にとんぼに“高”の字の校章のままだろうか?前はたまに色違いがあったが(校章の色が違った奴が混じっていたりしたが・・・)。


というわけで、野球部の話を書いたので、ついでに深志応援団の話も・・・

【深志応援団】

 学校も変わっていたけど、応援団はその最たるものか・・・

1.法螺貝と和太鼓の応援
 高校野球の応援でブラスバンドが入らない。もちろんチアガールなんて論外。
 その代わり、和太鼓に合わせて、応援歌を歌うか、ひたすら野次る応援。気勢を上げるために法螺貝が吹かれる。
 確か、仮に甲子園に出場しても吹奏楽部に応援を頼まないとの取り決めがあったと思うし、甲子園は和太鼓禁止だから、もし出場したら、やっぱり大太鼓を借りるか???なんて要らん相談をしていた。

2.幟旗
 花の応援団に出てくるような団旗(または校旗)がない代わりに、「深志大応援団」という幟旗を打ち立てていた。
 確か、我々が3年の時にOBが応援団旗を寄贈してくれるというので、てっきり、ああいう大きな旗を想像していたら、金モールがついた優勝旗みたいな旗 で、ちょっとびっくりした記憶がある。(せっかくのご好意にちょっと失礼だったか・・・)

3.団長と副団長は弊衣破帽、下駄履きマント着用
 バンカラ応援団なので、当然の如くこんな格好。特に副団長は上半身裸でマントを羽織ることになっている(詳細後述)。

4.“歩け歩け”
 深志応援団の最も特異な応援(儀式とでも言おうか)。四球でランナーが出ると、副団長が応援台の上で、舞う???(表現力不足でうまく書けない)
 まず3ボールになると、それまでじっと試合を見つめていた副団長が、おもむろに羽織っていたマントを開き(バットマン状態)、裸の上半身を丸出しにする。
 ここで、ヒットが出たり三振したりすると、また元の状態に戻るのだが、フォアボールになると、ランナーが歩き出すのと同時に応援団全員から“あーるけ、あるけ”とコールが起こり、それに合わせてヘンな踊り(としか表現できない)を舞う。
 さすがにこんなのは他で見たことないが、今でも続いていたら、是非甲子園で見てみたい。


 <注1>・・・というより筆者のチャチャであるが、そんな歌を用意している学校が悪いと思う。

 <注2>唯一、深志が甲子園に出場したときのピッチャーが、彼の萩元晴彦氏(元テレビマンユニオン会長)である。その時は、野球部全員下痢かなにかのために、ぼろ負けしたそうである。


 筆者自身は、母校野球部の応援には一度も行ったことがなかった。それが普通の深志生の姿・・・であることに大きな問題があるのだろう。
 野球といえば、何と言っても「松商学園」なのだ。
 ちょうど筆者が転勤で仙台に赴任した年、ドラフト1位で日ハムに行った上田投手を擁する松商学園が春の選抜で準優勝した。
 誰もテレビに注目しない社員食堂で、一人松商を応援していた。チャンネルを「笑っていいとも」に変えるんじゃないぞ!と祈りながら・・・
 みちのくの異邦人として、寂しくもあり、誇らしくもあった思い出である。