勘定板

 新入部員の女の子が入ってきて、「先輩、私どんな落語をやったらいいですか?」と相談を受けた場合、とりあえず薦めてみるのが「勘定板」である。
 ちょっとすまして「君には是非『勘定板』をやってもらいたいんだが、どうかな?」とニヒルに決めたいところ。

 以下に「勘定板」全文を掲載する。


【勘定板】

 奥州は仙台を海の方へ行きますってぇと立崎という海岸がございます。これは今ではございませんが、江戸の時分には便所の設備てぇものがございませんでし た。で、どういう暮らしをしていたかと申しますと、海っ縁へ、こう長い杭を何本も立てまして、幅三尺長さが六尺くらいの板、これの真ん中を縄で縛って、こ の杭に結わえ付けてある。この板が始終海ん中へ浮いております。これが便所でございます。用を足したくなるてぇと、この縄でもって板をたぐり寄せ、その上 へ用を済まして、足でひとつぽお~んとこの板を海に蹴りこんじまう。すると波がざっぷんざっぷんとこの板を綺麗に洗ってくれるという・・・誠に合理的な、 環境にやさしいシステムになっておりました。

 それで、あちらの方へ行きますと、大変おかしな話で申し訳ありませんが、便所へ行って用を足すことを「勘定する」と言ってたようで。で、この海に浮いて る板のことを勘定する板で「勘定板」「勘定板」って言いまして。

 こちらの地方から、漁師の男二人が、江戸見物に出てきまして、上野の辺りで宿を取ろうということになりました。

番頭 :「はい、はい。お早いお着きで、どうぞお上がりを」

次郎作:「いやぁわしら奥州のもんだけんどなっす。生きているうちに一度でいいから、江戸見物さぁすんべと思って、仲のいい野郎と二人で来てみたてぇな訳 だが・・・泊めてもらいてぇんだが、こちらん方はご都合どんなもんでござんしょうか?」

番頭 :「あ~そうですか、江戸見物でございますか?」

次郎作:「そうでござんす。江戸さぁ見物してぇと思いまして」

番頭 :「ありがとうございます。えぇお客様の前でございますが、江戸見物となりますと十日、二十日ばかりかかりますがいかがいたしましょう?」

次郎作:「いやぁ俺達はハァ、たとえ一月かかっても江戸さ見物して帰りてぇとこう思っているだに」

番頭 :「さようでございますか。どうもありがとうございます。どうぞ・・・ご案内を」

てなことで、女中が案内して二階の部屋へ通します。

女中 :「お疲れさまでございます」

次郎作:「いやぁ俺たちゃあ田舎もんでね。右も左も分からねぇ、さっぱりはぁ言葉も分からねぇでまぁこらえてもらいてぇ」

女中 :「あの、早速でございますが、お湯になさいますか? お食事になさいますか?」

次郎作:「はあ、そうでございますか。ありがとうございます。で、なんでごぜえましょうかな?」

女中 :「いえ、あのお湯にお入りになりますか? お食事になさいますか? いかがいたしましょうか?」

次郎作:「あ、あっはぁそうでごぜえましたか。いや済みませんハァ・・・で、なんでごぜえましょうかな?」

女中 :「(困っちゃったわね、言葉が本当に通じない)・・・あのぉ、こうやってお湯になさいますか? それとも、お食事になさいますか?」

次郎作:「あんでぇ? そりゃ風呂に入るかマンマぁ食うべかって話かえ? いや済まねぇおら言葉が分からなぐでねぇ、これぇてもらいてぇ。ちょっくら待ってくれや、今連れに聞いてみるだから」

次郎作:「いやさぁ太郎作。あの姐さんがぁなぁ、風呂に入るべかマンマぁ食うべかって聞いとるだがね。どうするべぇか?」

太郎作:「おら、お前の前だが困っているださ。さっきから勘定ぶちたくて我慢してるだよ」

次郎作:「勘定がしてぇ?べきゃあことになっちまっただよ。待て待ておらが姐さんに聞いてみるだからよ」

次郎作:「姐さんどうもスマンこってすが、この野郎が勘定ぶちてえなんて言っとりますが、その辺ご都合どんなもんでござんしょうかねぇ?」

女中 :「あの、お勘定でございますか?少々お待ちを・・・」

女中 :「ちょいと番頭さん。あのお客様方、お部屋がお気に入らなかったみたいですよ。部屋に入ってすぐにお勘定したいって言い出して・・・」

番頭 :「そんなはずはないだろう。お二人で一月かかっても江戸見物をしたいとおっしゃっていた。お前何かお客様の気に障るようなことでもしでかしたんじゃないのかい?」

女中 :「そんなこと。お湯になさいますか、お食事になさいますかって伺っただけですよ。そしたら勘定がしたいって」

番頭 :「あぁ、そうかい、いいよいいよ。私が代わりに行こう。お前は下においで」

番頭 :「へい。お疲れさまでございます。手前どもの女中にご用件を仰せつかったようでございますが、どのようなご用件でございましょうか? ちょっとお伺いたいのでございますが」

太郎作:「いやぁ誠に済まねぇんだけんどもなぁ。おらぁちょっくら勘定ぶちてぇもんだから・・・お願ぇしたわけだが・・・そこんところご都合どんなもんでごぜえましょうか?」

番頭 :「へい。へいへいへい。えぇ・・・お勘定でございますか?」

太郎作:「いやぁ、お勘定なんて大それたもんじゃぁねぇが、ただぁ勘定をぶちてぇと・・・」

番頭 :「へい。えぇお勘定といいますと、これはもう私どもの習慣でございまして、もうどなた様に限らずへぃ固めていただきまして、で、お発ちになる間際 にまとめて勘定をしていただくということになっております。へぃ、どうぞよろしくお願いいたします」

太郎作:「うにゃ?ええ?そいつぁちょっと待ってもらいてぇ・・・あんでぇ?勘定は、十日でも二十日でも溜めて、立つ間際にするでごぜぇますか?そんなこ とはそりゃ無理だこと。そんなことしたらおらぁおっ死んじまうだば。助けると思ってどうか勘定させてもらいてぇ」

番頭 :「へへっどうも。ご冗談を」

太郎作:「冗談?冗談かそうでねぇえかおらがの顔色見て分からねぇけ?頼むけにひとつ助けると思ってどうか勘定させてもらいてぇ」

番頭 :「へへっ。ええー大変お堅うございますな」

太郎作:「あんでぇ?そらま固いか軟らかいかは勘定ぶって見ねぇと分からねぇでごぜぇますがの」

番頭 :「へへっ、ごもっともさまで。ええ、じゃぁまぁせっかくでございますから、お勘定して頂きましょうか」

太郎作:「へ?勘定ぶっても構わねぇけ?はぁありがてぇ、おら一時はもうどうなることかと思ったっす・・・はぁ済まねぇ、それじゃぁちょっくらひとつ勘定場へご案内願ぇてぇ」

番頭 :「へ?勘定場?えぇ、勘定場は手前どもの下の帳場でございますが、いえいえお客様、わざわざ下のお帳場まで来て頂かなくても、お勘定ならこの部屋で結構でございます」

太郎作:「・・・ありま、この畳の敷いてあるここで、勘定ぶっても構わねぇでごぜぇますかね?」

番頭 :「へいへい、もう差し支えございませんで。こちらで十分にお勘定していただきまして・・・」

太郎作:「ありまぁ、さすがは江戸だな。おらこれまで畳の敷いてあるところで勘定ぶったことはねぇけんどもな。じゃあ済まねぇけんどもぶたせてもらうで、勘定板をちょっくら貸してもらいてぇ」

番頭 :「勘定板?はぁ?・・・えぇ少々お待ちを」

番頭 「旦那様。二階の三番のお客がね、ハナから終いまで勘定の事ばかり言ってンですよ。で、勘定していただきますって言ったら勘定板を貸せってんですが、なんです旦那、勘定板って?」

旦那 :「なんですってお前ねぇ。何年宿屋の番頭をやっているんですか? 勘定板のことくらい知らなくちゃぁ困りますよ」

番頭 :「何です?勘定板ってのは?」

旦那 :「勘定をする板、算盤のことですよ」

番頭 :「はぁはぁ、なぁる・・・勘定板ってのは算盤のことですか?」

旦那 :「そうだよ。だから田舎の方は堅いから、明細書きを見て算盤をはじいて帳尻がぴたっと合ったら勘定を払う、って寸法だ。だから算盤だけじゃ気が利 かないよ、明細書きも一緒に持って行くようにおしよ」

番頭 :「へいっ!」

番頭 :「えぇ、お待ちどうさまでございました。ここに勘定板を持って参りました。どうぞお使いください」

太郎作:「えきゃぁ、まぁ紙までもらっては済まねぇなこりゃ。どうでもいいけんどおっそろしいちーさな勘定板だなぁこりゃぁ。あぁ番頭さんにちょっくらお伺いしたいんでごぜぇますが」

番頭 :「へいへい。どういうご用件で?」

太郎作:「いやぁ、他ではねぇけんども勘定済んだらどうしたらよかんべ?」

番頭 :「へいへい。お勘定がお済みになりましたら、ぽんぽんと手を叩いて頂ければ、私が頂戴に伺いますんで、よろしくお願いします」

太郎作:「え? あの、頂戴に伺うって・・・勘定を持っていってもらいますんで?」

番頭 :「へい。もうお済みになりましたら、手を叩いていただければ、頂戴に伺いますんで、どうぞよろしく」

太郎作:「あーらそら済まねぇな、おら勘定なんか持っていって貰ったことはねぇけんどもな。そんなもの持ってどうなさるだ?」

番頭 :「どうなさる? ・・・へぃ、帳場まで大切にお預かりいたします」

太郎作:「こりゃぁ済まねぇな。そいじゃおらぁ勘定ぶったら手ぇさ叩いて呼ぶだで、取りに来て貰いてぇ」

番頭 :「どうも。ご存分に、ごゆっくり、心ゆくまでお勘定願います」

太郎作:「やい次郎作。こっちさ来てみぃ。おらぁこんな小さな勘定板に勘定ぶったことはねぇがな。これが江戸の習わしだってぇなら仕方なかんべ。おらが勘 定ぶったあとにな、われが勘定ぶちたくなっても勘定板えきゃぁちーせいからな、われはまた手ぇさ叩いて別の勘定板借りたらいかんべ。それじゃおらぁ勘定ぶ つでな。いかくちーせいから難しいがな。おらぁ今からぶつでな、われぇそこで見とれ」

 知らないってことはしょうがないもんで、誠に尾籠な話で恐縮ですが・・・勘定板の上に十分に勘定してしまいまして・・・

太郎作:「番頭さんや。えきゃぁ済まねぇがの、勘定が済んだで、ちょっくら取りに来て貰いてぇんでございますがな」

番頭 :「へい。どうも。ありがとう存じまし・・・はぁっ!? 大変なことを・・・どうでもいいが、ちょっといたずらが過ぎますよ。いくら何でも算盤の上にこんな事を・・・いい加減にして下さい!!」

 番頭腹立ち紛れに手でぐいっと払った。元々算盤ですから珠がついてる。勢いってのは恐ろしいもんで、これがつぅーっと座敷の上を滑って廊下の柱に当た るってぇと、とぉ~んとんとんと下の帳場まで降りてった。

太郎作:「次郎作、見たか!さすがは江戸じゃのぅ。勘定板が車仕掛けになっとるで」



 ちなみに、この噺を演じた女子生徒(男子も)は、過去に一人もいない。