大座法師池の奈落

 落語界のスーパースターといえば、何と言っても「与太郎」である。彼が登場するだけで、何とも言えないおかしみがそこには生まれ、与太郎が登場する落語を演れば、比較的簡単に笑いを取ることができた。したがって、与太郎噺は「前座噺」と呼ばれ、落研においても自然と新入部員を中心に行われていた。
 また、落研の歴史を振り返ってみると、どの時代においても、「落研の与太郎」とあだ名される部員が必ず1名は存在している。私も入部当時は「君には与太郎の素質があるよ」と先輩から言われ、「そうですかねぇ」と満更でもない態度を示したものであるが・・・トホホ。 まあ、当初、新入部員の男子は私を含めて3名しかおらず、残りの2名が慶應やら中央やらの法学部へ行ってしまうような優等生であったため、それも致し方ないところだろう。
 しかし、その後しばらくして入部してきたA.Hよって、私は「与太郎の座」から滑り落ちることになる。それほど、A.Hは類い希なる与太郎の素質を持っていたのである。ちなみに現在の彼は、メルアドに'yotarou'の文字を使っているようである。骨の髄まで与太郎が染み込んでいるのである。

 さて、そんな彼の与太郎具合を示すエピソードを紹介する。
 私と彼が3年生の時の夏休み、落研の面々は長野市の「大座法師池」の畔にあるキャンプ場に、2泊3日のキャンプに出掛けた。
 事件はそのキャンプ場に隣接された「フィールドアスレチック場」で起きた。
 そこには、「へ」の字型をした丸木橋があった。その橋の下には泥の池があったため、皆四つん這いになって恐る恐るその橋を渡っていた。それを腕組みして見ていたA.Hは、「君たち臆病だね」とつぶやいた後、悠々と立ったままその橋を渡りだしたのである。彼が橋の中央まで来たとき、案の定バランスを崩し始めた。
 その時、さっと橋から飛び降りれば何のことはなかったのであるが、往生際の悪いA.Hは何とか橋から落ちまいとし、体を橋の上に残そうとした。そんな彼の虚しい努力は、一部叶えられることになった。足が橋の上に残ったのである。そして、地球は・・・その万有引力は・・・万感の思いを込めて、彼の頭を泥の池にたたき込んだのである!!
 我々は、爆笑の渦で彼の行為を讃えた。その時彼がどのような態度を示したのか、その後どのような行動を取ったのか、残念ながら私の記憶にはない。

 数年後、大学の建築科を卒業した彼は建築士となった。しかも、日本で唯一といえる(きっちり調べたわけではないので、よそで吹聴しないように)総檜造り の小学校を設計してしまうほどの偉~い建築家になったようである。ここで思うことは、大工さんにならずに本当に良かった。


次の事件:生徒大会における攻防戦