蟻ヶ崎高校

 筆者は、蟻ヶ崎高校についてはあまり触れたくないのだが、どうしても書いてくれという強い要望があったので、書くことにする。
 現在は共学であるが、かつては、松本地区の女子校の雄(女子でも「雄」でいいのかな?)と言われた高校である。
 深志生は、県ヶ丘高校の「県稜祭」には行かなくとも、蟻ヶ崎高校の「銀河祭」にはしっかりと顔を出していた。
 松本駅から深志高校に向かう通り道にあるため、深志生も途中までは一緒に通学することになる。そして、蟻ヶ崎高校を過ぎると、ぞろぞろ歩く高校生の集団も、何となく殺伐としたものになる。

 しかし、どうであろう。あるWebサイトで調べたところ、最近の生徒数は、深志975名(男子557名・女子418名)、蟻ヶ崎900名(男子332名・女子568名)となっている。もちろん、蟻ヶ崎の方が女子の比率は高いが、我々の頃に比べると深志も華やかなものである。

 戦後、深志の共学化への道を開いたのは蟻ヶ崎高校の女生徒だと聞く。深志が男子校であることに抗議した蟻ヶ崎のトップ7名に対し、「それなら・・・」と 深志の編入試験を受けさせたところ、全員合格したそうである。
 そんな蟻ヶ崎高校が共学になったのは、深志よりだいぶ遅れた昭和50年のことである。
 知り合いに、女子校としての蟻ヶ崎高校最後の生徒だった人がいて、共学になる時の様子を聞いたことがある。
 もちろん、校内は騒然となり、汚かった下駄箱などを綺麗に掃除したのだそうだ。また、それまでは、夏の暑い盛りの授業においては、教室内でスカートをた くし上げて股座を団扇でパタパタ扇ぐ女生徒の姿がちらほら見られたようだが、さすがに皆お行儀がよくなったとのこと。
 憧れの女子高生の姿って、そんなものかもしれない。